【特集】萩の飲食店 笠山カフェ兀兀(コツコツ) 田中 愛生さん

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笠山展望台にオープンしたカフェ兀兀は、山口市地域おこし協力隊の平塚 海渡(ひらつか かいと)さん、田中 愛生(たなか あいき)さん達の起業した合同会社Tiny&Bigが運営しています。山口市の協力隊でありながら、萩市笠山展望台のカフェをオープンさせた経緯について、さらに田中さんのパーソナリティについてお伺いしました。

ご出身はどちらになりますか?

東京都あきる野市です。

幼少期はどのような子供でしたか?

記憶にあるのは、小学2年生の参観日に机に突っ伏してあくびをしたことです。進んで学校の勉強をするタイプではなく、良く言えばのんびりしていましたね。走ることやスポーツも嫌いでした。

それでは、どんなことに熱中していましたか?

昆虫です!昆虫を見ているとどこか機械的で、トランスフォーマーみたいに見えませんか?まだ実際には見たことは無いのですが、「花カマキリ」に憧れています。愛読書も昆虫図鑑でした。

 

部活動はなにをされていましたか?

音楽が好きだったので、中学・高校は吹奏楽部でした。中学ではクラリネット、高校でオーボエを担当していました。オーボエは管楽器の中でも演奏が細かいから大変だけど、メロディをソロで演奏するから目立つことができる!それで希望しました。昔からなんでも得意なことは、1位を獲れることに集中して行うタイプです。なので苦手なものは本当にダメです。(笑)

兀兀ではお料理を担当されていますが、家庭料理で覚えていることはありますか?

母は料理上手で和洋折衷いろいろ作ってくれました。舌平目のムニエルやトムヤムクンなども作ってくれました。だからと言ってお店で出てくるような凝ったものではなく家庭でできる範囲でした。その中で好きな母の料理は豚の角煮です。豚の角煮は圧力鍋を使ってとにかく柔らかく仕上げています。外食で食べるときは、お皿に盛っている分しか食べられないですよね?母は大量に作ってくれたので、それを遠慮せずにモリモリ食べられて嬉しかったです。見た目であまり食べないと思われがちですが、お酒を飲むとき以外は凄く食べます。お酒も好きです。ジンやワインや日本酒が好きで、ジンは度数が高いからそんなに量は飲めないけど、ワインだと1人で1本くらいは飲みます。

子どものころから料理をされていましたか?

気が付いたら母の料理を手伝っていました。子供のころわがままを言うと、母は、「わがまま言うのだったら晩御飯作らないからね。」と言ってたんです。ご飯を食べられないのは困るので、それなら自分で作ろうと思って作りはじめました。はじめてしたことはスパゲティを茹でることでした。でも、茹でてからのことを考えていなかったので、味付けに困りました。(笑)

高校卒業後の進路を教えてください。

高校は進学校だったので、友達と同じように大学を受験しました。でも、その頃からスペインに留学したいと思うようになっていたので勉強にも身が入らず案の定不合格となりました。それで、「よし!スペインに行こう!」と決めて、資金をつくるためにスペイン人シェフのレストランでアルバイトして、お金を貯めてからスペインに行きました。はじめは親戚がいるマドリッドに行き、そこで3か月ほどお世話になりました。次にバレンシアに行き、そのあとは周遊して約1年間スペインで過ごしました。

なぜスペインだったのですか?

虫と同じように小さい頃からスペインに憧れがあったからです。親戚がスペインにいて一度行ったことがありました。そのときの思い出とスペイン料理の本を見るようになって、憧れがどんどん強くなっていたからです。

滞在中に出会った印象に残っているスペイン料理を教えてください。

美味しいものはたくさんあります。生ハムはどこで食べても美味しい。カタルーニャ地方のパンコントマテは簡単に言うとパンにトマトを塗って食べる料理ですが、それは日本だとバケットサイズで小さいんですね。でも、カタルーニャのものはカンパーニュで作るから大きくてすごく美味しかった。衝撃的だったのはパエリアかな?バーで一気に50人前くらい作って、それをみんなで食べるからさらに美味しく感じたのかもしれない。街のいたるところにバルがあって市民は普段使いをしています。主婦の方も家に帰る前にちょっと一杯飲んで気に入ったおつまみはお惣菜として持って帰っていました。そういう良いなと思う文化がたくさんあります。憧れていたスペインの土地でスペイン料理を実際に食べられたことが一番良かったです!

その後はスペイン料理の道に進みましたか?

いえ、帰国して和食の勉強をするために料理学校に通いました。なぜなら、スペインで通っていた学校の友達と日本料理を食べに行こうと現地の和食屋さんに行った時に、中国人が経営している回転寿司屋さんで、ヨーロッパの人たちが日本人の僕たちからすると、とても美味しいと思えないお寿司を美味しそうに食べているのを見て…、わざわざヨーロッパの料理を勉強するよりも日本の料理を勉強する方が後々役に立つと思ったことがキッカケです。

実際に和食のお店でも働かれましたか?

銀座にある和食料理屋で約2年間修業しました。もしかするとお話を聞いたことがあるかもしれませんが、和食の修業はとても厳しくて最後は体を壊したことが原因で辞めました。もう、同じような環境で働きたいとは思いません。ただ、普段は教えることをしない厳しい親方が、賄の親子丼の作り方を教えてくれたことは今でも心に残っています。親方は「割り※は忠実に守れ。一煮立ちして鶏肉入れ、一煮立ちして玉ねぎ入れ、一煮立ちして溶いた卵を半分入れ、時間を置いて残りの卵を入れろ。この一煮立ちしたタイミングでちょうど食材に火が入ように食材を準備する。そこから料理が始まるから料理は逆算だ。」その教えは今の僕のお料理のベースとなっています。

※割り…だしや調味料の分量割合を容量比で表したもの。

田中さんの爽やかな印象から想像できない経験があったわけですね。そのあとはどうされましたか?

辞める前からそのお店を経営している社長が、ヨーロッパに出店したいと言っっていたので「スペインがいいですよ。」とずっと伝えていました。そのお店を辞めた直後に「旅費もすべて負担するから、スペインに視察についてきて欲しい。」とお誘いがあり、特に予定もなかったのでその依頼を引き受け約1か月間スペインに行きました。視察中は美味しい料理も食べさせて頂いて、本当に良い思いをさせてくれたのですが、日本のお店の印象が悪かったのでビジネスを一緒に、とは思えなかった。帰国後にその後どうするか聞かれた時とっさに「フランスに留学します。」と言ってしまったので、勢いで行くことにしました。

フランスへ!?

とりあえず半年間でも留学しようとビザを取得した時に、半年の学費を納めたら1年間のビザを取得できることがわかりました。それならまずは半年行って嫌ならそれで帰ればいいという気持ちで行きましたが、気づいたら5年間もいました。(笑)語学の勉強に2年間、それから大学に3年間。それに学生以外にも料理や通訳、翻訳の仕事もしていました。

フランスの大学にも行かれたのですか?!なにを専攻したのですか?

高校では歴史が好きだから文系に進学していましたが、フランスでは憧れていた虫のことにつながる生物学を勉強することができました。文系であったけど理系の分野で入学できたのは、フランスの大学は高校卒業の証明書と志望動機があれば誰でも入学を認めてもらえるからです。でも学年を上がる試験がとても難しくて、だいたい毎年で半分以上の学生が脱落していきます。もちろん語学も勉強したけど、完璧ではないからなにを言っているか聞き取れない言葉も多く、心配になりすごく落ち込みました。慣れないことだらけのストレスもすごくあったのですが、いろんな人の支えもあって脱落することなく卒業できたので、努力すれば、言葉や分野を超えて新しいことを学べるということを証明できたと思います。

フランス料理の印象はどうですか?

住んでいた場所がラングドック※にあたり、そこには比較的お手頃な値段で美味しいワインとチーズが手に入ります。だから、わざわざ料理しなくてもそれだけで満足できました。それにスペインは革新的な料理に出会うことがあったけど、フランスはどちらかというと古典的。それもあったのかなんとなく味を想像できたので、スペインほどに惹かれる料理はありませんでした。

※ラングドック地方…ラングドック・ルシヨン地域圏(通称ラングドック)はプロヴァンスからピレネー山脈、さらにスペインとの国境に至る、南フランス沿岸地域の旧地域圏です。フランスの主要なワイン生産地でもあり、名高いワインにはヴァン・ド・ペイ・ドックやスパークリングワインのクレマン・ド・リムーなどがあります。政庁所在地モンペリエには中世に栄えた地区があり、今もその面影を残しています。

田中さんはスペイン、フランスに行かれています。現在は何ケ国の言葉を喋れますか?

今は日本語、スペイン語、フランス語で通訳、英語で話をするくらいはできます。目標として30歳までに5か国語を話したいと思っていましたができませんでした。最近はタイやベトナムに興味があります。そのタイ語はイントネーションが5つ、1つの音から3つも4つも使い分けるため難しくて諦めに近い思いがあります。

スペイン、フランスに留学され違う国の文化に触れている田中さんから伝えたいことはありますか?

時代がどんどんボーダレスになっているから、小さなコミニュティだけではなく、いろいろな文化や世界を見て触れて欲しいです。日本との違いの例えでは海外の語学学校に行くと、初級クラスで日記を書く宿題が出されます。面白いことにアジアの人は朝起きてから夜寝るまでを時系列にきちんと書いてきます。一方、西欧の人は発表することを想定して聞く人が興味を持つようなことを書きます。だから、時にありえないようなことを面白く書いた日記もあります。どちらが正しいとかはありません。でも、宿題はちゃんとした書類ではないから、創意工夫があってもいいと僕は思います。

これは普段の生活や仕事にも繋がっていくと思いますよ。やりたいことを人に伝え理解してほしかったら、当然人が興味を持つような魅力的なストーリーでないと意味がありませんよね。もちろん嘘は良くありませんが、一言一句正しくちゃんと書く必要もないと思います。そういう意味では日本と西欧の考え方を足して2で割るとちょうど良いのかもしれませんね。

山口市地域おこし協力隊になられるキッカケを教えてください。

今も一緒の隊員として活動している平塚隊員との出会いが関係しています。彼とはフランス在住時に出会って、帰国するタイミングも一緒でした。彼は大学で都市開発の地方問題を勉強していたこともあり、「帰国したら地方創生に関係する仕事ができたらいいね。」と話をしていたので、帰国前に具体的に調べました。そのときに「地域おこし協力隊」の存在を知りました。そして、場所選びの時にフランスで住んでいた地中海沿岸がとても気に入っていたので、見知らぬ土地でもネットワークで構築することができるそれに似たような場所として瀬戸内海沿いに絞りました。その場所を2人で色々と訪れて決めたのが山口市です。

山口市に決めた一番の理由はなんですか?

歴史好きだから明治維新などの歴史も色濃く残る街も魅力です。それでも2人が「ここがいいね!」となったのは瑠璃光寺の五重の塔の美しさです。住む街にこのような建造物があるのはとても素晴らしいと思いました。

山口市に住まわれての感想を教えてください。

地方にならどこにでもあるネガティブな口コミを多く見ていました。でも、それは良い意味で裏切られて暖かく迎えてくれたことが嬉しかったです。道でおじいちゃん、おばあちゃんが農作業しながら話をしている光景を見ると、フランスの農村の風景を思い出します。また、海や夕日を見ながらの生活なので、おおらかでとても心地良い気持ちになります。

地域おこし協力隊としての仕事を教えてください。

仕事は山口市の南部地域ニューツーリズム形成です。昨年夏に海辺のけん引可能な小さなバー。タイヤが付いていないので、どこへでも持って行くことができ、保健所の許可も下りているので、ポップアップ型のお店を開くことができるタイニーバーをはじめました。結果としては、知られていなかった場所に多くの人が来るようになりました。それが単発ではなく、タイニーバーがない冬でもキャンプ利用する人がいたりと、継続して利用される場所になったので成功事例を作れたと思っています。スタート当時、当然ながら辺鄙な場所で事業をすることにネガティブな意見を投げかけてくる人もいました。そういう人や地域住民に実践から良いインパクトを与えることができたと思います。

山口市地域おこし協力隊でありながら、萩市笠山カフェ「兀兀(コツコツ)」をオープンされました。はじめるキッカケを教えてください。

2020年の夏に山口市の海でやっていたタイニーバーに阿武町の方が来られて、萩市の笠山展望台でカフェ運営の公募の話を平塚隊員が聞いたのがはじまりです。メンバーで実際に現地に行き、展望台からの景色を見たときはとても感動しました。平塚隊員は当初から乗り気でしたが、僕はちょっと迷いました。なぜなら居住地が山口市なので、萩市までの距離が課題に感じました。それでも話し合いを重ね「やろう!」と決めて、昨年11月に正式に申し込みました。

山口市の協力隊としての任期中に、山口市以外で活動することに対して職場から意見されましたか?

直接的に否定的な声は聞いていないです。それまで好き勝手にやっていたから言っても無駄と諦めたのかもしれません(笑)。

アルバイトを募集されています。一緒に働きたいと思う人はどんなひとですか?

このカフェに愛着を持ってくれる人がいいですね。ここは景色が一番の売りになります。だから、人が来て景色を見ながらゆっくりできることに共感してもらえる人が理想です。違うアイデアも知りたいからメニューも提案して欲しいです。

メニュー作りはどのようにされていますか?

メニューは旅の中で出会った料理がフラッシュバックすることが多いです。例えば兀兀の一番人気はバスク風チーズケーキです。この場所に初めて来た時から、スペインのバスク地方に来た錯覚を覚えます。バスク地方も山から海までの距離が短く海の中に島が浮かんでいます。その中のサンタクララ島の高台からサンセバスチャンの綺麗な蒼い海が見えます。ここはまさにその景色と非常に似ているからバスク風チーズケーキをしようと思いました。海辺のタイニーバーで出しているバインミーも同じです。ベトナムの島で食べたバインミーがとても美味しくて、その光景がパッと頭に浮かんできたので取り入れました。そんなインスピレーションを大事にしています。

「兀兀」の名前の由来を教えてください。

兀兀は漢字です。ネットで難読漢字クイズに兀兀が出題されていたのを見つけて、平塚隊員にこのことを話したところから店の名前になりました。「兀兀」には2つの意味があります。1つはコツコツ物事を積み上げるという意味です。このカフェもコツコツ積み上げて笠山にくるお客様を増やしていきたいと思いました。2つめは兀という字は上が平の状態を表します。それがカフェから見える島の形に似ていると思いました。

萩の印象を教えてください。

萩は茶道で「一楽二萩三唐津」と言われるように、萩焼や明治維新にあるような歴史から名前を知っていました。協力隊になる前の視察のときにはじめて訪れました。今のご時世が関係しているのでしょうか?夜になると本当に人が出歩いていないことにビックリしましたね。それにせっかく歴史を感じる町並みがあるのだから、時代劇で見るような街づくりをしたら面白いのにと思いました。

田中さんのパーソナリティについてもお聞きしてよろしいですか?今年8月にファイナリストに選ばれたミスターゲイジャパンについてお聞かせください。

僕はゲイと公言しています。心も体も男ですが、好きになるのが同姓です。今年、全国区で行われているミスターゲイジャパンというコンテストの予選を通過し、6人いるファイナリストの内の1人に選ばれました。日本で優勝できたらミスターゲイワールド(世界大会)に行きます。ミスターゲイジャパンって何?と思われるでしょうね。審査基準には、見た目の要素も一応は入っているのですが、ミスジャパンのように美しさを争う場ではなく、方針としては世界中に同性婚の理解促進と、LGBTの可視化をメインに評価されるコンテストなんです。今年の8月にファイナリストに選ばれて、最終審査が来年の2月にありますが、それまでにファイナリスト各々はプロジェクトを進めないといけないんです。プロジェクトは先ほどお話しました同性婚の理解促進と、LGBTの可視化をどのように広めていけているか等で、そのあたりを中心に審査されます。

スペイン・フランスに住んでいた時に、どちらの国も同性婚ができて普通に同性カップルがいて…という環境下で20代の多感な時期を過ごして、違和感なく暮らしていたけど、日本に帰ってもそんな風に暮らせるのかなと考えたりして。でも日本でも、渋谷区を皮切りにパートナーシップ制度という同性婚と似たような関係性を公に認められる制度が始まったと聞き、日本も変わってきているんだなと思って期待でワクワクしながら帰国しました。確かに東京ではLGBTの言葉も聞くようになったし、高校生の男子同士が手を繋いで歩いていたりとで変わってきたなと嬉しかったんです。でも、田舎に行くと全然変わっていない。おじさんが「ホモ野郎」と言ったり、その一言で苦しむ人が山口にもいるのに、まだ理解が足りていないと感じました。日本のLGBTシーンは、都市部がクローズアップされてオープンにされているように見えるけど、地方はまだまだで、だからこそ自分が表に立って伝える役割をしたいと思ったのですが、なかなか伝える手段がないのでミスターゲイジャパンに応募しました。インスタグラムを通じてコンテストやLGBTに関する情報を発信しているので、良ければフォローして応援してください。

 

LGBTQ+(性的マイノリティ/性的少数者)…性的指向と性自認。Lesbian(レズビアン/女性の同性愛者)、Gay(ゲイ/男性の同性愛者)、Bisexual(バイセクシャル/両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー/性自認が出生時に割り当てられた性別とは異なる人)、Q(クエスチョニング/特定の枠の属さない・わからない人)性のあり方は、単純に「男性/女性」だけではなく、分解して考えてみるといくつかの要素分けて考えることができます。社会においてLGBTQの存在を訴え、差別や偏見に対して声を上げる運動が起こり、直面する困難も含めて認知が広がりつつある。

+Photos+ 萩市地域おこし協力隊 上田 晃司

兀兀には、優しく話しやすい印象の田中さんに会うために地元の方が定期的に通われているそうです。笠山からの素晴らしい眺めと田中さんのお話を聞きに是非お立ち寄りください。

 

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Cafe兀兀