【特集】萩の料理人 「割烹千代」 河村 剛太郎 さん

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「京料理と同じように、萩料理を定着させたい!」穏やかな口調で語られる河村大将の目は真っ直ぐ未来を見据えていました。萩の飲食業界を背負って歩む一歩は、萩の未来への一歩です。「割烹千代」の歴史と河村大将の料理に対するこだわりについてお話をお聞きしてきました。

 

ご出身はどちらになりますか?

萩市に生まれて明倫小学校出身です。高校卒業後は関西の大学に進学しました。

小さい頃はどのような子供でしたか?

近所でも有名な悪ガキでしたよ。その当時は明倫小学校も1,000人くらいいるようなマンモス校で友達もたくさんいました。家族で経営をしていたので、当時もよくお店にいました。働く祖父の姿を見て「働き者」という印象が強かったです。

その時に食べられた料理は覚えていらっしゃいますか?

カレイの唐揚げですね。お店で出していたものを時々作ってくれていました。とても美味しかったです。

部活は何でしたか?

野球とサッカーを両方していました。でも、高校になってサッカー部がなかったんです。すごく残念でした。

いつ頃から料理の世界に入られましたか?

そうですね、高校生くらいのころからお店を継ぐことは意識していました。漠然とですがサラリーマンは向いていないと思いました。それと生まれ育っている萩で仕事もしたいと思っていました。将来を見据えて大学では経済学部を専攻しました。大学2年時に大学とは別の調理師専門学校の夜間部で料理の勉強もしていたので、昼間は大学、夜は調理師専門学校のダブルスクールでした。その後は、学生時代からアルバイトをしていた料亭に就職しました。

はじめから専門学校に進学されなかったのはなぜですか?

その当時の世間が見ている調理師専門学校のイメージが、あまり良くないように感じていました。また、お店を経営するにはお客様や従業員一人ひとりにちゃんと応対できなければいけません。そのため料理以外の経験を積むことや、知識を付けることも大切と思って大学に進学しました。

 

調理師専門学校は一日どれくらいの授業時間がありましたか?

授業時間は一日約3時間でした。それを1年と6か月間休まずに通って皆勤で卒業しました。ダブルスクールで忙しかったですが、大学で自動車部に所属していたので、息抜きに夏休みを利用して車5,6台で友人と各地に行っては美味しいものを食べたりしていました。その当時はマツダのサバンナが好きでした。それを自分たちで改装して走ったりしていましたね。少し前までドイツの旧車カルマンギアに乗っていました。車が趣味です。

そちらでは、どのくらいの期間働かれていましたか?

3年くらいですね。修行半ばという感じだったので、本当はもっと働いていたかったのですが、家庭の事情があり萩に戻る決断をしました。当時は一度市外へ出て戻ってくる友人も多くいました。当時の思い出としては、修業時代のお店はお客さまをお迎えするのにお香を焚いていました。そのお香を焚くことは新人の仕事であって、その香りで「さぁお店が今日もはじまるぞ!」という気持ちになりました。それもあって千代でもお香を焚いてお客様をお迎えさせて頂いています。今はその香りを嗅ぐと今日のはじまりを思うのと新人時代の初心に戻れて背筋も正すことができます。

 

子供のころから料理に興味を持たれていましたか?

小さいころは料理が好きという気持ちはあまりなかったです。興味があったのは美術でした。そのなかでも色彩に興味があり、料理をするときに盛り付けなどでそれが活かされることに気づいてからは、料理にのめりこんでいきました。今では「映える」というように、より美しく魅せることで感動を生むこともできると思うので、仕上げとしてとても重要だと思います。

「千代」の創業はいつころですか?

「千代」は先代の祖父母がこの場所ではじめました。当時は、お座敷があって着物を着た女中さんや仲居さんがお客様にお酌をするお店でした。景気が良かったということもありますが、そのようなお店は他にはありませんでした。

今のような形態になったのはいつくらいですか?

私が大阪から萩市に戻ってからすぐです。「お酒を飲むお店」ではなく「料理を食べるお店」にしたかったので、思い切って大改装しました。今になって思うのは「母がよく信頼してくれたな」と。感謝しています。

「千代」の名前の由来を教えて下さい。

先代の祖母の名前が「千代乃」で、そこからつけられました。

「千代」で大事にされていることはなんですか?

それは、もちろんご来店いただいたお客様に喜んでいただくことです。それと、先代から必ず魚は天然ものを使うようにしています。より良い食材を仕入れるために取引先を含めた関係者には「親戚付き合いをするように大事にしなさい。」と教えられました。また、萩市は小さな町ですが、山と海が近いので食材が豊富にあります。良い食材をより美味しく食べていただけるように日々技術を磨いています。それに良い食材があるように文化や歴史もあります。だから、「京料理」のようにここにしかない「萩料理」を作ることを心掛けています。大阪から戻ってすぐのころは、「萩にはない都会風のものを作らなければ!」と思っていて食材も取り寄せたりしてましたが、お客様から「萩には素晴らしい食材がたくさんあるのに、どうして使わないのか?萩ならではの食材で萩料理を作るべきだ。」と言われて、その通りだと思いました。包丁は柄が黒檀の本焼き包丁を12年くらい使っています。

河村大将の好きなお魚はなんですか?

甘鯛です。甘鯛は足が早いので取り扱いが難しい魚です。「千代」では鮮度の良い甘鯛を仕入れているためお刺身だけでなく「甘鯛のフルコース」を召し上がっていただけます。

メニューはどのように考えられているのですか?

和食に拘らず、いろいろな料理を食べたり見たりしてそこからインスピレーションを得ています。

これまでで印象に残っている料理はありますか?

修行時代の料亭でいただいたお吸い物です。一口で「これは美味い!」と感動しました。うちでも学生アルバイトさんにはまず鰹節と昆布のお出汁が効いたお吸い物と、塩と醤油だけのお吸い物を比べて体感してもらっています。

現在の趣味や休日の過ごし方を教えてください。

趣味は食べ歩きです。食べるのが楽しくて仕事にもつながっています。

働き方改革や新しい企画に参加されるなど新しい取り組みを積極的にされています。それをおこなうキッカケや想いを教えてください。

料理の仕事は直接お客様に喜んでいただけたり、感動していただくこともできるやりがいのある仕事です。しかし、新人時代は特に仕事時間が長いことや、給料も安く休みが取りづらいなどあまり良いイメージがないため、若い世代がなかなか育ちにくくなっています。それに仕事環境が良くないとせっかく魅力のある仕事も楽しくなくなります。楽しくないと思う気持ちは周囲に伝わるため、さらに良くないことになると思います。「千代」では連休を取得できるような仕組みを作る…など、労働環境の改善にも努めています。また、美味しい料理を作るためには美味しい食材が欠かせません。生産者さんにもちゃんと利益が回るように、適正な値段で取引させていただくようにしています。

萩市の飲食業界の展望や希望を教えてください。

萩市には良い食材が豊富にあります。食材はもちろんのことそれを使った料理を求めてわざわざ足を運びたくなる街にしていきたいと思っています。そのために素材に負けない技術を磨いて料理の世界を盛り上げていきたいです。

+Photos+ 萩市地域おこし協力隊 上田 晃司

 

 

 

 

割烹千代