【特集】 萩の料理人 「Kunelplus/クウネルプラス」 阪口 勝洋(さかぐち かつひろ)さん

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萩市江崎地区の国道沿いに、令和3年5月25日~石窯ピザカフェ~「Kunelplus(クウネルプラス)」がオープンしました。カフェをはじめレンタルスペース、サブスクリプション※の導入など、他にはないアイデアで魅力的なお店作りをされているIターンで起業された阪口勝洋さんにお話をお伺いしました。

※サブスクリプション…語源としては、雑誌の予約購読や年間購読という意味からきている。ある商品やサービスを一定期間、一定額で利用できるような仕組みのことを指します。

ご出身はどちらですか?

京都府長岡京市で生まれて、高校卒業後も京都にある調理師専門学校に進学しました。その後、京都のホテルに就職しました。

なぜ料理の仕事を選ばれたのですか?

父親が企業で働いていたので、コネで入れてもらえると甘く考えていたら「お前はサラリーマンに向いていないから手に職をつけろ。」と放り出されました。手に職と言われて思いついたのが、美容師と料理人でした。それで料理人を選択しました。

実際に調理師専門学校ではどのようなことを学ばれていましたか?

専門学校では日本料理とフランス料理の2つから選択するようになっていました。当時はフレンチがなんとなくカッコよく思えたのでフレンチを選択しましたが、地元が京都で和食のお店で勝負したい気持ちもあり、今思えば和食をやっておけばよかったと思っています。最初は、僕は左利きなのに右利き用の包丁を使っていたのを、先生に指摘されるまで気づかなかったくらい何もわからないままのスタートでした。

就職されていたホテルではどのようなことをされていましたか?

ホテルで働いていた3年間の間に、ホール業務から入り盛り付け、それぞれのポジションの調理まで、1通りのことをしました。泊まり込みで仮眠して早朝5時から働く日もあり、何でもやらないといけない職場でした。はじめの頃は、本当によくわからなくて、材料を見ても何に使うのだろうと思うレベルでした。でも、仕事に慣れて余裕がでてきた時に、使われている基本の出汁(ソースやスープのベース)などが出来合いの冷凍食品であることに気付きました。お肉や魚を焼いて、冷凍食品の出汁を使って煮詰めたりバターでコクを足したりして使われます。その出汁の作り方が知りたいのに、それでは肝心なところが全くわからなくて学ぶことができませんよね。それで 「これはヤバいな」と思って辞めました。

辞めてからその後はどうされましたか?

料理は23年間やっています。ホテルを辞めた後も大阪、神戸、東京、京都で主にフレンチのお店で働いていました。

現在はピザやパスタなどイタリア料理の要素もありますが、それはどちらで学ばれましたか?

東京銀座※にあったキハチイタリアンで一緒に働いていたイタリア人から教えてもらいました。

※現在は青山に移転(本店)

それ以外では独自に勉強されたのですか?

実は今の姿からは想像できないと思いますが、鬱になった時期がありました。ホテル時代に、料理の基礎を学ぶことができなかったので、新しいお店に移っても魚を捌くことや出汁を取ることもできませんでした。就職先のシェフから「一体、何ができるの?」と呆れられたように言われ悔しくて、でも、賄も作れない、何をしたらいいのかもわからない。全く自信もなく30歳くらいまでは怒られないようにだけを考えて料理をしていました。そのストレスが溜まって、結局は仕事を辞めて、実家に引きこもりながら、本屋に行って料理の本を買ってはポイントをノートに書きだしてまとめることを繰り返していました。勉強のために集めた料理本は、本屋さんより充実していきました。次に移ったお店でも「何ができるの?」と聞かれた時に「できません。」と言いたくなかった。そのレシピが書かれているノートは今でも宝物です。

鬱の時期があって、そこからどうやって復帰できたのですか?

鬱にはなったけど、「いつか自分のお店を持ちたい」という強い想いがあったから勉強もしていました。それから「このままでは良くない」と思い、知り合いが紹介してくれたお店で働きはじました。そこのシェフから頼まれるたびに、書き溜めたレシピノートを参考にして作っていました。シェフから作った料理を褒めていただけたことで、最初は単純に嬉しかった気持ちが、徐々に自信に変わっていきました。その後は、自分からも進んで料理を作るようになっていきました。一般的な基本はできていないかもしれないけど、人と違う独自の基本があって、でも結果、お客様から美味しいといってもらえているので良いと思っています。

萩市にはどのような経緯で来られたのですか?

3年前に地元の京都で店舗を探して、契約寸前まで進んでいた話がダメになった時に、道の駅「ゆとりパークたまがわ」の食堂をリニューアルするのを手伝ってくれないかと言われて3か月の契約で単身で来ました。結果、半年間に伸びた契約が終わり地元に1度戻りましたが、その1年後に、道の駅のスタッフが辞めるということで再度お話が来たのと、萩市が市営住宅「うみかぜ」の入居者募集の抽選をはじめたタイミングが同じくらいだったので、奥さんに相談したところ「人生1回しかないから、もし当選したら行こう」と同意してくれ、市営住宅入居に応募してみたら、当選したんです。それで家族で萩に来ました。

いろいろな場所で経験されていますが、中でも特に印象に残っている出来事はありますか?

京都で働いたお店の経営者はすごく印象に残っています。もっと前に出会っていたら良かったと思うくらいです。僕はフレンチ出身で、少なからずプライドもあり、頑固だった思考を「たこ焼きが流行る場所ならたこ焼きをやったらええ。流行らないとわかっていることをしても仕方ない。」とズバッと言ってくれて、狭かったものの見方を広げてくれました。ある時、一緒に飲んでいたときに「この場所で立ち飲み屋ができたらいいな。」と言って、その場で歩いて見つけた空き店舗をすぐに契約して立ち飲み屋をオープンさせました。そんな感覚で、どんどん新しいことをやっていくのですが、立ち上げた新店舗では、1ケ月間くらい現場のスタッフと一緒に働き「味はこうしたらいい」とか、意見交換をしていました。コミニュケーションがうまくて人を引き付ける魅力のある経営者でした。もちろん無理なことを言われると、現場は対応に追われますけどね(笑)。僕が働き始めたころに「今は4店舗だけど、お前がいる間に10店舗までにする。そこから見ることのできる景色を見てみたい。」と言っていて、本当に在籍した3年間で実現させました。その時に「10店舗になって変わったことはありますか?」と質問したら「今は金を追っかけているのか、金に追われているのかわからへん。はじめて作った1軒目のたこ焼き屋が1番楽しかったな。」という返事が戻ってきて。その言葉はどこか府に落ちて、強く印象に残っています。いろいろな経営者を見て来ましたが、圧倒的にぶっ飛んでいて、一緒にいて楽しかったです。

その経営者とは今でも連絡を取られていますか?

その経営者からは萩に再度行く時の、出発する前日まで反対されたのを飛び出して来たし、萩に来てからは忙しくて連絡ができていなかったけど、最近になってうちの店舗のInstagramにその経営者が「イイね」を押してくれていることに気づきました。それで3年ぶりに電話をし「言われたことをここでもおこなっています。」と伝えたら「ちゃんと見てるよ。こっちは大変な状況になってるけど、お前の見て俺も頑張るわ。お前は10店舗になるまでの稼ぎ方を見たやろ。あとは行動するかせんかだけや。」と言われて、とても嬉しかったです。

「kunelplus」という印象的なお店の名前はどのような意味がありますか?

ズバリ食うて寝る(笑)、ふざけているでしょ。でも、美味しいものを腹1杯食うて寝るがシンプルで1番幸せだと思いませんか?「プラスふれあいを」の意味を込めてます。他にも候補はあったのですが、自分らしいからこれに決めました。

お料理のこだわりを教えてください。

お客様が料理を食べて「美味しい!何を使っているの?」と聞いてくれると嬉しいです。店の料理を家に帰って作ってみたけど、同じようには作れないと思われるような料理を心がけてお出ししています。その他では、料理に和のエッセンスを入れるようしています。

お店に入ると窓から見える川の景色がとても印象的ですね。

この窓の配置も計算して作ってもらい、川が見えるように藪を1日かけて自力で整備しました。そして、川を勝手に萩市の「高瀬川※」と呼んでいます(笑)たまたまですが江崎出身の方がデザイナーとして関わっています。

※高瀬川…江戸時代初期に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である。

萩市の食材についての感想を教えてください。

魚が美味しいです。江崎も港があるため美味しい魚が獲れます。それを活かしたメニューとして、お客様に好評いただいているのが「煮干しまみれのペペロンチーノ」や「ちりめんじゃこのパスタ」などです。

萩市の子どもたちに伝えたいことはありますか?

まず、自分の子どものことになりますが、娘からは絶対に嫌われたくないです(笑)。娘が不憫な思いをしないように命がけで頑張りたいと思っています。奥さんから「本当にチャンスを逃さないよな。」と言われています。僕は「チャンスの神様には前髪しかない。」と思っています。チャンスが前から向かってきているときは掴めるけど、通り過ぎると掴めないです。だから、子供たちには「チャレンジしないことは最後に後悔する。何か行動する時に、2択で迷うことがあればどっちもやったらいい。」と伝えたいです。

萩市の生活はどう感じていますか?

萩は一般的にお店が閉まる時間が早いですよね?今は特に休みもないですが、それでも夜7時くらいには家に帰れるので、生活のバランスが取れています。萩だからできる生活かもしれません。都会の仕事人のような「家庭を省みず、がむしゃらに仕事漬けの日々」…そういう生活はしたくなかった。

今後の展開などありますか?

今はやりたいことの10割のうち3割しかできていません。例えば、月曜日はフットマッサージ、火曜日は英会話、などお店の1部を使って、毎日違うことがおこなわれているようにして、それを会員制にしていきたいと思います。物販もこれからもっと充実させていきます。まだまだ認知度が低いので、お店のPRの一環として新聞も作成中です。いろいろ展開していきますが、細く長く続けていくことを理想としています。極端に言えば、「料理不味いけどお前に会いに来たわ!」ってなってもいい。僕やスタッフのキャラクターでお客様がお店に来ていただけるようになると嬉しいです。

 

+Photos+ 萩市地域おこし協力隊 上田 晃司

店舗情報については

⇒Kunelplus(クウネルプラス)をご覧ください。