萩のつくり手 <第23回>
「上杉農園(うえすぎさんち)」上杉 晋也(うえすぎ しんや)さん
萩市の小川地区・平山台(ひらやまだい)果樹団地には、約100haの台地面積の敷地に、桃や梨、ブドウ、リンゴ、栗などの果樹園が広がります。果樹園の美しい風景をバックに、上杉農園で、祖父の代から梨を生産 する上杉 晋也さんにお話を伺いました。
―上杉農園創業の経緯を教えてください。
上杉農園は、祖父が始めました。戦争で、シベリアに2年間抑留されていた祖父は、なんとか生き残って、ここに帰ってきた70年ほど前に、地域の人たちと「桃を植えよう」ということになり、岡山に視察に行ったそうです。その頃は、チェーンソーもなければ、トラクターやユンボなどの重機もありませんでしたから、全て手作業でした。ノコギリで木を切り、スコップで掘り、ダイナマイトを使って開墾していたそうです。そして、桃を植えました。しかし、当時は、いい包装資材もなかったため、桃の輸送の際の品質管理が難しかったようです。
そこで、祖父は、桃から梨の栽培へと方向転換しました。
-晋也さんは、どのような道のりを歩まれたのでしょうか?
出身は、小川です。4人きょうだいの一番上として生まれ、下には妹2人と弟がいます。小川小学校、小川中学校(現:田万川(たまがわ)中学校)、奈古(なご)高校(現:萩高校奈古分校)を出て、防府市の農業大学校へ進みました。子どもの頃から、ずっと農業を継ぐつもりでいました。
-学生時代に取り組んだことは何ですか?
小学校ではサッカー、中学校では野球、高校では柔道をやっていました。高校3年生の頃は、ちょうど、携帯 電話が普及したこころで、「着メロ」の打ち込みや、「着うた」、「i-mode」に夢中になっていました。
-農業以外の道を考えたことはなかったのですか?
親は、「別のところで就職したら?」とも言っていました。でも、煩(わずら)わしさもあり、就職してしまったら、帰りにくくなるのではないかと考え、そういった道は選びませんでした。農大卒業後は、当時、萩市に合併する前の田万川町に戻って、親元で農業に就きました。とはいえ、農業大学校の三十数名いる同期のうち、 農家になっているのは、ほんの数名です。
-故郷について、昔と現在の違いを感じたことは、ありますか?
萩市に合併する前の田万川町時代は、農業や漁業などの第一次産業の補助事業がたくさんあったと思います。 萩市になってからは、政策としては、観光がメインになり、萩市になったことで、「萩」という名前で、梨を売る範囲が広くなったと思います。
-今、栽培されているものは、何ですか?
2haの土地で、梨、リンゴを中心に栽培しています。
-どんな品種ものを作っているのでしょうか?
小川梨生産組合としては、幸水(こうすい)と二十世紀梨を出荷しています。
上杉農園では、梨とリンゴで40種類くらいの品種を作っています。毎年、苗木屋さんが色々な品種をおすすめしてくれますが、食べてみないとわからないので、2、3本ずつ植えてみるのです。お客さまが、「この品種ありますか?」と問い合わせして来られるので、聞かれたら植えてあげようと思って、「5年後まで待ってくださいね」なんて、話をして、とにかく色々な品種を栽培しています。例えば、「アンビシャス」というリンゴは、甘味が強いのが特徴の品種です。それから、「甘太(かんた)」「有水(ありす)」という梨など、大規模には出回っていない品種を作っています。「甘太」は、市内小学校の給食として配達します。
自給のための田や畑もあり、アーモンドやアボカド、ミカンや柿など、さまざまなものを栽培しています。 珍しい品種のものは、直販で、「道の駅ハピネスふくえ」や「萩ファーマーズマーケット」などを中心に、色々と出しています。上杉農園のフルーツには、妹が名付けた「うえすぎさんち」というシールが貼ってあります。道の駅のお客さまは、リピーターの方も多く、熱心で、畑を見に来られたりもします。
―上杉農園の農産物の特徴を教えてください。
愛情と手間は惜しみません。たくさんの品種を作っていて、収穫適期はバラバラですが、お客様には絶対においしいものを食べさせてあげたいと考えているので、青い状態のものは売りません。
例えば、梨で最初に出る品種「なつしずく」は、収穫が遅れると落ちてしまうので、早めに収穫したくなってしまいますが、絶対に美味しいものを食べさせてあげようと考えているので、未熟なものは収穫しません。味見して確かめ、1日おきくらいに収穫して、一番おいしい状態で売ります。品種ごとに最適な時期に収穫して、おいしいものしか売らないと。意地ですね。
―1年間の流れはどのような感じなのでしょうか?
梨は、4月に花が咲いたら受粉します。実がなり、5月になったら摘果(てきか)、袋掛け。8月から収穫していきます。
流れとしては、リンゴ、ラ・フランスも基本的には同じ感じです。
―大変な作業は何ですか?
受粉です。梨は、自分の花粉では実がならないので、違う品種の花粉をつけないといけません。花が咲きそうになったら、花粉専用の木を切って、ハウスに入れて、温度管理して咲かせ、その花をとって、葯(やく)採取機、葯精選機にかけ、花粉を取り出します。そうやって取り出した花粉を一つ一つの花に受粉していきます。
今は、手が足りないので、機械で受粉作業をします。機械で省力化することで、何とかやっています。受粉しないと実がならないので、とても大事な作業になります。
―農業のやりがいは、何ですか? 上杉農園が長く続いてきた理由とは?
やはり、収穫するときにやりがいを感じます。祖父が農業を始めたのは、生きるため。父によれば、長く続けられた理由は、平山台果樹生産組合という組織があったからです。仲間がいて、仲間と切磋琢磨して、成長していくことが大事だと言っています。
―大変なことは、何ですか?
獣害や天災です。イノシシ、カラス、アライグマなど、さまざまな被害がありました。台風にやられた時のショックといったら、ないですね。梨が1トン半落ちたこともあります。手間をかけても、霜で実がならないということもありますし、自然相手なので、絶対大丈夫ということはありません。
それから、機械が高額です。例えば、農薬散布機は400万円、草刈り機は120万円。補助事業などもありましたが、それでも機械のために働いているのではないかと思うくらい高額なので、資金面のことは大変です。
―たくさんの役を担われているとお聞きしました。
平山台果樹生産組合の組合長、小川梨生産組合員の副組合長をしています。
―平山台果樹生産組合長として、心がけていることは、何ですか?
イベント出店などの誘いや取材などは、なるべく小まめに対応します。さまざまなチャンスを逃さないように、担い手募集やプロモーションなども、色々とやっています。
―ほかにも、たくさんの役を担われていますよね。
あとは、阿武萩4H(農業者)クラブの事務局長。祭りで、たい焼きを焼いたりもしていますよ。それから、JA山口県萩青壮年部部長、阿北支部支部長にもなっています。ここでは、婚活イベントの実行委員をやっていて、その運営もしています。何組か若いカップルが誕生しています。もう一つあって、株式会社たまがわで働いています。もちや味噌を作っている会社です。もちは、祭りで使われるもちまき用の餅なども作ります。
―時間がいくらあっても足りなそうですね。
とても忙しいです。もう、何屋さんか、わかりません。ちびっ子から年配の方まで、何かを頼まれたら応えてあげたいと思ってしまう性分ですね。そういえば、民生委員にもなりました。そして、もう一つ。実は、出雲大社長門分院の神職もやっています。
―それは、驚きです。なぜ、神職をすることになったのですか?
後継者不足で、29歳のときにスカウトされました。わが家は神道で、萩市江崎にある出雲大社長門分院にお世話になってきたので、お引き受けすることにしました。神職としては、お彼岸、七五三、厄払い、地鎮祭、さまざまな御祈願をします。出雲大社長門分院を撮影した映像がありますので、よかったらご覧くださいね。
https://www.youtube.com/watch?v=J719fwfiH-Y
―今後の展望を教えてください。
色々な仕事をしているので、どう時間配分していくかは悩ましいところです。神職はやめられませんしね。本業の梨は、両親と3人でやっていますが、手一杯です。JA山口県萩青壮年部では、婚活イベントの実行委員をしていますし、縁結びで有名な出雲大社長門分院の神職をしており、人さまの縁結びに貢献してきたとは思いますが、私自身はまだ独身で、お相手は募集中です。
―農園以外にも積極的に取り組まれておられる上杉さんは本当に素敵です。これからも頑張ってください!
基本情報
会社名又は個人名 | 上杉農園(うえすぎさんち) |
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住所 | 〒759-3201 山口県萩市上小川西分74 |
電話番号 | 08387-4-0627 |
URL | |
販売場所 | 道の駅ハピネスふくえ、萩ファーマーズマーケット、直売 |