武家屋敷の土塀との歴史風情が愛される「夏みかん」
夏みかんNatsumikan
甘酸っぱい香りを含み、さっぱりとした酸味が美味しい夏みかん。5月上旬に収穫が行われます。
丸漬けやジュース、マーマレードなど、お土産にも人気
萩では、夏みかん一個の中身を抜き取り、中に羊羹を流し込む丸漬けや、ゼリー、ジュース、マーマレードなどの加工品も人気のお土産になっています。
武士から夏みかんのまちへ。夏みかん維新
夏みかんは、萩に文化年間(1804~18)初頭に入ってからもたらされ、ゆずの代用として利用されていましたが、幕末近くにたまたま夏に収穫したところ、美味であったため、その後は「ダイダイ」から「ナツダイダイ」と呼ばれ、夏に食べられるようになったといわれています。
萩は長年長州藩の政治経済の中心地として栄えた城下町ですが、文久3年(1863年)に藩庁が萩から山口に移ったため、藩経済に依存していた萩の町民は侍の流出に大打撃を受けることとなりました。更に明治政府樹立後の士族の給禄奉還が、萩に残された武士の苦境に追い討ちをかけ、その不満で明治9年の萩の乱勃発の要因となっています。
丁度この時、新政府の要職を歴任した小幡高政が萩に帰郷し、困窮した士族を救済するため、廃屋同然となった広大な侍屋敷の土地に夏橙を植栽しようと、明治9年に種を蒔き、翌年に苗木を接木し、明治11年に苗木を士族達に配布。明治22年には、夏みかんの果実と苗木の収益が当時の萩町の財政を追い越すまでになり、その後萩の町全体に夏みかん畑が広がりました。
因みに日本で最初に夏みかんマーマレードを作ったのは、福沢諭吉です。明治26年(1893年)のことで、福沢諭吉のもとへ送られてきた夏みかんを、おいしく食べ、皮を利用して「マルマレット」(マーマレード)を作った旨が、萩藩医家出身の松岡勇記あての礼状に記されています。
「この町には香水がまいてあるのか」。全国かおり風景100選
大正15年5月、当時の皇太子、後の昭和天皇が萩にお見えになった時、「この町には香水がまいてあるのか」といわれたほど、夏みかんの栽培が最盛期で、まさに萩を代表する夏みかんの香りのおもてなしでした。この夏みかんの香りが、平成13年に全国の「かおり風景100選」に選定されています。
現在も萩は夏みかんの町として有名です。夏みかんと共に歩んできた萩では、今日でも武家屋敷の土塀と夏みかんの「風情」や夏みかん菓子などの「味覚」が愛され続けています。