【特集】萩の大地と食のつながり
3つのマグマが生んだ萩の大地
萩の大地は、3つのマグマが1億年の時間をかけてつくりました。1つ目のマグマは、大地の大半を埋め尽くす超巨大な噴火を起こしました。2つ目のマグマは、日本海に島や海底火山をつくりました。3つ目のマグマは、1ヶ所で1回だけ噴火する小さい火山をたくさんつくりました。3つのマグマの活動が多様な形の大地をつくり、萩特有の風土の土台になりました。
3つのマグマがつくった萩の大地は、地域によって異なる姿をしています。人々は、その特徴と向き合いながら、それぞれの土地にあった生き方を試行錯誤していきました。その結果、漁業、農業、萩焼など、地域に特色のある産業が生まれていきました。
火山が育む海の幸
萩沖では、漁師さんたちの間で「瀬」や「グリ」と呼ばれる海底の岩礁に、魚がたくさん集まることが昔から知られています。
萩沖の大部分は、平坦な砂地の海底が占めています。その中で海水の流れが瀬やグリにぶつかると流れが乱れ、栄養たっぷりの砂や泥がまき上げられます。その栄養と太陽の光でプランクトンが良く育ち、それを食べに魚が集まってきます。広い海を泳ぎまわるアジなどの回遊魚も、瀬にとどまってたっぷりとエサを食べ、脂ののった体に育ちます。
また、瀬やグリにはワカメなどの海藻がはえ、岩のすき間もたくさんあるため、魚だけでなく、ウニやサザエ、アワビなどの海の生き物たちの住処にもなっています。萩の魚介類は海底に沈んだ火山で育っているのです。
農地に適した溶岩台地
約40万年前の噴火でできた山口県阿武町の伊良尾山(いらおやま)は、大量の溶岩(玄武岩)を流しました。伊良尾山と同様の小型火山が萩市と阿武町の約50ヶ所に分布しています(阿武火山群)。特に溶岩台地はその特徴的な地形から、平蕨台(ひらわらびだい)、平原台(ひらばらだい)、千石台(せんごくだい)、平山台(ひらやまだい)など、“台”や“平”という字が地名に多く用いられています。これらは古くから農地として利用されてきました。
溶岩の上は平らで日当たりと水はけが良く、黒ぼく土等の火山性土壌が広がり、野菜や穀物、果物の栽培が盛んです。溶岩や火山灰の地層は水を吸い込みやすく、火山の麓から湧き出すため、稲作も盛んにおこなわれています。
また、山間部に広い平地が少ない山陰地方ですが、火山が川をせき止めることでできた盆地状の開けた土地がいくつも点在しています。昼夜の寒暖差の大きな山間地域で、まとまった平地を確保できるのも、農作物の栽培の利点です。
萩の砂丘と夏みかん
萩市の指月山(しづきやま)は、約1億年前に地下の巨大なマグマが冷え固まって岩石(花こう岩)となり、長い年月をかけて地表に現れたものです。花こう岩が風化して砂となり、日本海側から吹く風がそれを運んで砂丘ができました。菊ヶ浜(きくがはま)は、その一部です。
明治になって、職を失った武士たちが屋敷内で育てたのが萩の夏みかんです。海が近い砂丘上だったため、かんきつ類が好む水はけが良く暖かい環境にあり、栽培には好都合だったのです。
萩城下町は、今もなお江戸時代当時の面影が残っており、風情ある古い町並みを散策すると土塀から黄色い夏みかんがのぞく光景や、初夏には爽やかな花の香りを楽しむことができます。夏みかんの実は、お酢(橙酢)や夏みかん菓子として加工され、萩のお土産物の定番として親しまれています。
萩の大地の特徴について詳しく知りたい方は、
⇒萩ジオパーク/ホームページをご覧ください。