萩の新鮮な素材を伝統の技で焼き上げた、他県にはない独特な風味と弾力を誇る「焼き抜き蒲鉾」
焼き抜き蒲鉾Yakinukikamaboko
将軍も愛した萩の蒲鉾
萩特産の焼き抜き蒲鉾の歴史は深く、古くは寛永17年(1640年)の11月に開催された長州藩初代藩主である毛利秀就公を主客とする茶会の献立に蒲鉾が用いられたことが記録として残っています。
また、伝承によれば、五代藩主毛利吉元公へ、萩の魚店町に住む黒兵衛というものが、獲れたての魚のすり身を蒲の茎にぬって焼き上げ献上したところ、大変お気に召し、以来藩主が江戸参勤の度、職人を伴い江戸屋敷で製造させ、徳川将軍家へお国土産として献上。時の将軍綱吉公は、殊の外満足され、その独特な風味を非常に賞美されました。これが世間の好評をうける端緒となり、長州名物と称えられるに至ったとされています。
その後、次第に製法も改良工夫され、板付蒲鉾となり今日の焼き抜き蒲鉾に進歩してまいりました。
新鮮な地魚が豊富な萩。将軍が愛した、素材の持つ旨味を充分に活かした、味と技が今にも引き継がれています。
長州名物としての萩の蒲鉾
萩の蒲鉾が、江戸時代に「長州名物」とされていたことを示す資料としては、村田清風に宛てた礼状が伝わっています。村田清風は、幕末期に長州藩の藩政改革に取り組み手腕を発揮した人物です。
その礼状は、弘化元年(1844年)、萩を訪れていた会津藩の志賀小太郎が、村田清風あてにしたためたものです。
それには、「御国産珍味」の結構な「蒲鉾」・「鯨」を沢山に頂戴し、誠にありがたく「賞翫(しょうがん)(褒め味わう)」いたしましたとあります。
「御国産珍味」とあることから、会津においても、蒲鉾が長州の特産品という認識があったことが伺えます。このように、萩の蒲鉾は、江戸時代の初め頃には製造が始まっており、古くから、他国にも聞こえる特産品でした。
焼き抜き製法が生み出す上品な風味と強い弾力
萩の焼き抜き蒲鉾は、日本海の荒波で獲れた新鮮なエソという魚を主原料にしています。エソは濃厚な旨味があり、蒲鉾の材料の中では最高級品と言われています。
このエソを中心とした新鮮な魚のすり身を蒲鉾板に半円筒状に盛りつけて焼き台にのせ、蒲鉾の板の下から間接的に遠火をあて、長時間ゆっくりと焼き抜きます。これが焼き抜き蒲鉾と呼ばれる所以であり、独特のプリプリとした弾力のある食感につながっています。
蒲鉾の表面は、直接火をあてないため、艶のある真っ白な肌に仕上がります。また、加熱で膨張したかまぼこが冷えて縮み、表面に美しいちりめん皺ができるのも、焼き抜き蒲鉾の特徴です。
このように、濃厚な旨味がある新鮮な素材に独自の技を加えて焼き上げられた萩の焼き抜き蒲鉾は、他県の蒲鉾にはない独特な風味と弾力を誇っています。